2012年10月24日
洋風ぶっかけ飯
うわんです。

更新をサボって2週間になる。
仕事がちょっと忙しくなると、直ぐサボってしまう。
サボっている間に、日本では「残暑」から「秋」になってしまったようである。
タイでは、間も無く「オークパンサー」を迎え、雨季も終わろうとしている。
今年は、昨年のような「洪水騒ぎ」も無く、平穏な雨季開けになりそうである。
そんな事とは、一切無関係に、チュラロンコンデーの休みの日の朝、久しぶりに「朝ご飯」を作って見た。
題して、「洋風のぶっかけ飯」
ほうれん草を2把。
軽く茹で、水気を絞り、細かく切る。
玉ねぎ1個を細かく切る。

剥きアサリ半パックと、剥きエビ(背中から半分に切り、長さを半分に切る)を用意。
オリーブオイルとバターで、玉ねぎを飴色になるまで炒める。

そこに、ほうれん草を加え軽く炒める。

アサリとエビを加え、痛める。
生クリームを加え、牛乳で濃さを調整。

塩、こしょうで味を整える。
タイの赤米の玄米と普通のタイ米の玄米を炊き、お皿に盛り付ける。
そこに、出来上がった「タレ?」を盛り付ける。

作る前のイメージは、ほうれん草の「クラムチャウダー」であったが、玉ねぎとほうれん草を炒めたところで、ミキサーにかけなかったので、ほうれん草がクリーム状にならなかった。
玄米のちょっと固めの歯応えと、クリームの感じが合って、それなりに美味しかった
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フランスパンの切って、浸けてみたら、玄米より美味しかった。

これなら、朝ご飯としては充分に行けそうである。
食の細い「娘」にウケてくれれば、オヤジとしては嬉しいのである。

更新をサボって2週間になる。
仕事がちょっと忙しくなると、直ぐサボってしまう。
サボっている間に、日本では「残暑」から「秋」になってしまったようである。
タイでは、間も無く「オークパンサー」を迎え、雨季も終わろうとしている。
今年は、昨年のような「洪水騒ぎ」も無く、平穏な雨季開けになりそうである。
そんな事とは、一切無関係に、チュラロンコンデーの休みの日の朝、久しぶりに「朝ご飯」を作って見た。
題して、「洋風のぶっかけ飯」
ほうれん草を2把。
軽く茹で、水気を絞り、細かく切る。
玉ねぎ1個を細かく切る。

剥きアサリ半パックと、剥きエビ(背中から半分に切り、長さを半分に切る)を用意。
オリーブオイルとバターで、玉ねぎを飴色になるまで炒める。

そこに、ほうれん草を加え軽く炒める。

アサリとエビを加え、痛める。
生クリームを加え、牛乳で濃さを調整。

塩、こしょうで味を整える。
タイの赤米の玄米と普通のタイ米の玄米を炊き、お皿に盛り付ける。
そこに、出来上がった「タレ?」を盛り付ける。

作る前のイメージは、ほうれん草の「クラムチャウダー」であったが、玉ねぎとほうれん草を炒めたところで、ミキサーにかけなかったので、ほうれん草がクリーム状にならなかった。
玄米のちょっと固めの歯応えと、クリームの感じが合って、それなりに美味しかった
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フランスパンの切って、浸けてみたら、玄米より美味しかった。

これなら、朝ご飯としては充分に行けそうである。
食の細い「娘」にウケてくれれば、オヤジとしては嬉しいのである。
Posted by うわん at
13:50
│なんちゃって料理レシピ
2012年10月15日
ギンジェー
うわんです。

菜食週間が始まった。今日から9日間だそうだ。
ギンジェーと言って、中国から来た習慣であるらしい。
中国人と言えば、「足」がある物で、食べないのは「机」だけとか「椅子」だけとか・・羽根があって食べないのは「飛行機」だけとか言われるほど、なんでも食べつくす人達である。
タイ人も負けてないない。
日本のお坊さんさら「表向き」は肉魚を食べない「精進潔斎」と言う事になっているが、実態は○×▽である。
タイにはそのような禁忌はないようで、基本、何でも食べるようである。
個人的に「牛肉」を絶っているとか、「エビ」を断っていると言う人もいるが、じっくり観察していると、なにかの祈願で「断ち物」をする時の優先順位は自分の「好き嫌い」の順に対応している様な気がしないでもない。
その何でも食べる国民的習慣を持っている2つの国が影響し合って、「肉」を食べない週間を作ったようである。
スーパーの野菜売り場には、黄色い三角の旗が立ち並び、「菜食」を強調している。
豆乳の売り場はここぞとばかりに「張り切って」いるようである。

この時期になると、「菜食週間」用のインスタントラーメンが売り場に登場する。

原材料などに「動物性」を使っていない事を強調しているのだろう。
インスタントラーメンなど、メインの食材ではないのだから、特別な「菜食週間」の時くらいは、食べなくても良いのでは?なんて思ってしまう。
私の身近にいる「イスラム教」のタイ人は、この時期、「ジェー」の印が付いているインスタントラーメンは、「安心」して食べられるのだそうだ。
日本人にとって、あまり「縁」の無い「宗教的」な「禁止事項」に抵触せずに、買ったり食べたり出来るからだろう。
いくら、何でも食べる国民と言っても、これはちょっと驚いた。
ラマ4世通りのビックCで、見つけたジェー商品売り場の写真である。
売っている物は、「スコッチブライト」の「たわし」である。
スポンジタワシと、金属タワシである。

確かに「動物性」では無い。
でも、こんなものを食べるのは、私の知っている限り、「グズラ」くらいである。

覚えているだろうか・・・「グズラ」
数十年ぶりに思い出した「名前」である。
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ま、直接、中国の古代の王様?に関係していなくても、「ダイエット」の代わりに「ギンジェー」と称して、菜食をするのは、体にも良いのかも知れない。
私にとって、大豆の加工食品で、「イカ」に似せたり、「鶏肉」に似せたりした、カマボコ関係が増えるので、有難いのである。
どうやって使うのかを知らない「乾燥ゆば」見たいな物もある。
菜食の有名人と言えば、インドのガンジーを思いつく。
厳格な「菜食主義」とか書いてある物もある。
よくよく、読んでいくと、穀物よか野菜、玉子とあった。
菜食主義の事はよく知らないが、インドには「動物性」でない「玉子」があるようである。
机を並べて仕事をしている、タイ人のマネージャーも「ギンジェー」だと言っていた。
あいつは元々「人を喰ったような」奴である。
「人」も動物性では無いのかも知れない。
もっとも、「人」を喰っているようで、喰っているのは実は「人で無し」だったりして。

菜食週間が始まった。今日から9日間だそうだ。
ギンジェーと言って、中国から来た習慣であるらしい。
中国人と言えば、「足」がある物で、食べないのは「机」だけとか「椅子」だけとか・・羽根があって食べないのは「飛行機」だけとか言われるほど、なんでも食べつくす人達である。
タイ人も負けてないない。
日本のお坊さんさら「表向き」は肉魚を食べない「精進潔斎」と言う事になっているが、実態は○×▽である。
タイにはそのような禁忌はないようで、基本、何でも食べるようである。
個人的に「牛肉」を絶っているとか、「エビ」を断っていると言う人もいるが、じっくり観察していると、なにかの祈願で「断ち物」をする時の優先順位は自分の「好き嫌い」の順に対応している様な気がしないでもない。
その何でも食べる国民的習慣を持っている2つの国が影響し合って、「肉」を食べない週間を作ったようである。
スーパーの野菜売り場には、黄色い三角の旗が立ち並び、「菜食」を強調している。
豆乳の売り場はここぞとばかりに「張り切って」いるようである。

この時期になると、「菜食週間」用のインスタントラーメンが売り場に登場する。

原材料などに「動物性」を使っていない事を強調しているのだろう。
インスタントラーメンなど、メインの食材ではないのだから、特別な「菜食週間」の時くらいは、食べなくても良いのでは?なんて思ってしまう。
私の身近にいる「イスラム教」のタイ人は、この時期、「ジェー」の印が付いているインスタントラーメンは、「安心」して食べられるのだそうだ。
日本人にとって、あまり「縁」の無い「宗教的」な「禁止事項」に抵触せずに、買ったり食べたり出来るからだろう。
いくら、何でも食べる国民と言っても、これはちょっと驚いた。
ラマ4世通りのビックCで、見つけたジェー商品売り場の写真である。
売っている物は、「スコッチブライト」の「たわし」である。
スポンジタワシと、金属タワシである。

確かに「動物性」では無い。
でも、こんなものを食べるのは、私の知っている限り、「グズラ」くらいである。

覚えているだろうか・・・「グズラ」
数十年ぶりに思い出した「名前」である。
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ま、直接、中国の古代の王様?に関係していなくても、「ダイエット」の代わりに「ギンジェー」と称して、菜食をするのは、体にも良いのかも知れない。
私にとって、大豆の加工食品で、「イカ」に似せたり、「鶏肉」に似せたりした、カマボコ関係が増えるので、有難いのである。
どうやって使うのかを知らない「乾燥ゆば」見たいな物もある。
菜食の有名人と言えば、インドのガンジーを思いつく。
厳格な「菜食主義」とか書いてある物もある。
よくよく、読んでいくと、穀物よか野菜、玉子とあった。
菜食主義の事はよく知らないが、インドには「動物性」でない「玉子」があるようである。
机を並べて仕事をしている、タイ人のマネージャーも「ギンジェー」だと言っていた。
あいつは元々「人を喰ったような」奴である。
「人」も動物性では無いのかも知れない。
もっとも、「人」を喰っているようで、喰っているのは実は「人で無し」だったりして。
2012年10月09日
明太 ご飯
うわんです。

トンローの手前に、「誠屋」と言う、日本の食材を扱う店がある。
冷凍食品が多く、1パックの量がちょっと多めだから、単身赴任の人には不向きだが、フジスーパーやイセタンで扱っていない物もあり、家族持ちには便利な店である。
で、その中に、ほぐした明太子がある。

もちろん、福岡のお土産で頂いたり、買ってきたりする明太子には及ばないが、普段のおかずには充分である。
これを使って、「明太子ご飯」を作って見る。
ミルクパンに醤油を4~5杯入れる

私の基準は大さじではなく、レンゲである。
みりんを2杯。

弱火にかけ、粉末のカツオだしと、アサリだし、ダシ替わりのこぶ茶を、コーヒー用のスプーンで各1杯ずつ加える。
ほぐし明太子をレンゲで2杯~3杯加える。

バターをレンゲ2杯文加え良く溶かす。

ご飯を普通に炊いて、炊きあがったら、明太子入りのバター醤油タレを混ぜる。

茶碗に盛り付け、

明太子を飾りに乗せ、

刻み海苔を降りかける。

ワッシワッシと食べる。
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今回は、4合のご飯を炊いたが、綺麗に完食。
「んめ~」と言う息子の声が「嬉しい」。

トンローの手前に、「誠屋」と言う、日本の食材を扱う店がある。
冷凍食品が多く、1パックの量がちょっと多めだから、単身赴任の人には不向きだが、フジスーパーやイセタンで扱っていない物もあり、家族持ちには便利な店である。
で、その中に、ほぐした明太子がある。

もちろん、福岡のお土産で頂いたり、買ってきたりする明太子には及ばないが、普段のおかずには充分である。
これを使って、「明太子ご飯」を作って見る。
ミルクパンに醤油を4~5杯入れる

私の基準は大さじではなく、レンゲである。
みりんを2杯。

弱火にかけ、粉末のカツオだしと、アサリだし、ダシ替わりのこぶ茶を、コーヒー用のスプーンで各1杯ずつ加える。
ほぐし明太子をレンゲで2杯~3杯加える。

バターをレンゲ2杯文加え良く溶かす。

ご飯を普通に炊いて、炊きあがったら、明太子入りのバター醤油タレを混ぜる。

茶碗に盛り付け、

明太子を飾りに乗せ、

刻み海苔を降りかける。

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今回は、4合のご飯を炊いたが、綺麗に完食。
「んめ~」と言う息子の声が「嬉しい」。
2012年10月05日
そら耳、そら目?
うわんです。

最近、見間違い、聞き間違いが多くなった。
それと「そら耳」。
昨日、インターネットのニュースを見ていて、「ホンダ、ダカール参戦」と言う記事があった。
私は、元々、車のレースには興味が無い。
レースだけでなく、モーターショウのような車に関係するイベントにも、興味がある方では無い。
車何てものは、真っ空く走って、上手く曲がれて、ちゃんと止まって、少しバック出来れば充分な機能を持っていると思ってしまう。
だから、「ホンダ、ダカール参戦」と言う記事は、基本的に私の興味を引く記事では無い。
だが、昨日は、この記事が目に止まった。
何の事は無い「ホンダ」が「カレールー」に参戦すると読んでしまったのである。
グリコだのハウスだのが頑張っている、カレーライス用のルーの製造販売を始めた記事だと読んでしまった。
バーモントとか、ジャワとか2段熟とかに続き、ホンダが低燃費のカレールーを出したのかと思った。
ちょっと考えれば、イヤ、何も考えなくても、「アリエナイ」話である。
そんなレベルの読み間違い、聞き間違いが多くなったような気がする。
家内と話していても、「何か言った?」「ううん、何も言って無いよ」と言う会話が増えたような・・・。
まだ、そら耳として、「私の悪口」を言っていると言う風には聞こえていない。
お年寄りが、自分の悪口を言っていると近所に言いふらすなんて話を聞いた事があるが、年寄りの「被害妄想」と笑え無くなっている。
何となく「妄想の自分の悪口」が真実味を帯びて来ているのが、ちょっと怖い。
会社では、タイ人ばかりの「タイ語の世界」にいるので、仕事で必要な最小限度の会話しかしていないような気がする。
社会現象やTVの話題などの「無駄話」は、かなり少ないだろう。
日本のTV番組を見ていても、若い芸人たちが機関銃のように発する「不明瞭な発音」の羅列についていけない。
家内と娘の会話も、子供たち同士の会話も、「意味不明」な言葉が多い、
ゲーム関係の話題、最近の歌、歌手、俳優など、会話に登場する「単語」が理解出来なくなっている。
日本語として「理解」出来ないなら、もう外国語と同じである。
会社でも、家でも、外国語の中で生活しているような物である。
長々と続く「お経」を聞かされている心境である。
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お経を聞いていると、「眠くなる」
タイ人のお葬式に出席すると、日本より訳のわからない「お経」を聞く事になる。
タイ語とは違う「バーリー語」と言うのだそうだ。
日本では「梵語」、「サンスクリット語」とも言うらしい。
正面のVIP席で、タイ坊主のお経を聞く時は「眠気」と戦うので必死である。
「~~サンマー」「~サンマー」とか「アラファト~」「アラファト~」と言う言葉だけが耳に残る。
たらこ唇のアラファト議長と、出っ歯の明石家さんまが、言い争っている図を想像して、耐えている。

最近、見間違い、聞き間違いが多くなった。
それと「そら耳」。
昨日、インターネットのニュースを見ていて、「ホンダ、ダカール参戦」と言う記事があった。
私は、元々、車のレースには興味が無い。
レースだけでなく、モーターショウのような車に関係するイベントにも、興味がある方では無い。
車何てものは、真っ空く走って、上手く曲がれて、ちゃんと止まって、少しバック出来れば充分な機能を持っていると思ってしまう。
だから、「ホンダ、ダカール参戦」と言う記事は、基本的に私の興味を引く記事では無い。
だが、昨日は、この記事が目に止まった。
何の事は無い「ホンダ」が「カレールー」に参戦すると読んでしまったのである。
グリコだのハウスだのが頑張っている、カレーライス用のルーの製造販売を始めた記事だと読んでしまった。
バーモントとか、ジャワとか2段熟とかに続き、ホンダが低燃費のカレールーを出したのかと思った。
ちょっと考えれば、イヤ、何も考えなくても、「アリエナイ」話である。
そんなレベルの読み間違い、聞き間違いが多くなったような気がする。
家内と話していても、「何か言った?」「ううん、何も言って無いよ」と言う会話が増えたような・・・。
まだ、そら耳として、「私の悪口」を言っていると言う風には聞こえていない。
お年寄りが、自分の悪口を言っていると近所に言いふらすなんて話を聞いた事があるが、年寄りの「被害妄想」と笑え無くなっている。
何となく「妄想の自分の悪口」が真実味を帯びて来ているのが、ちょっと怖い。
会社では、タイ人ばかりの「タイ語の世界」にいるので、仕事で必要な最小限度の会話しかしていないような気がする。
社会現象やTVの話題などの「無駄話」は、かなり少ないだろう。
日本のTV番組を見ていても、若い芸人たちが機関銃のように発する「不明瞭な発音」の羅列についていけない。
家内と娘の会話も、子供たち同士の会話も、「意味不明」な言葉が多い、
ゲーム関係の話題、最近の歌、歌手、俳優など、会話に登場する「単語」が理解出来なくなっている。
日本語として「理解」出来ないなら、もう外国語と同じである。
会社でも、家でも、外国語の中で生活しているような物である。
長々と続く「お経」を聞かされている心境である。
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お経を聞いていると、「眠くなる」
タイ人のお葬式に出席すると、日本より訳のわからない「お経」を聞く事になる。
タイ語とは違う「バーリー語」と言うのだそうだ。
日本では「梵語」、「サンスクリット語」とも言うらしい。
正面のVIP席で、タイ坊主のお経を聞く時は「眠気」と戦うので必死である。
「~~サンマー」「~サンマー」とか「アラファト~」「アラファト~」と言う言葉だけが耳に残る。
たらこ唇のアラファト議長と、出っ歯の明石家さんまが、言い争っている図を想像して、耐えている。
2012年10月04日
イジメの話
うわんです。

最近、TVや新聞で、「イジメ」が取り上げられる。
私が子供の頃も、イジメはあった。
だから、今でも「あって良い」とは思わない。
決して、肯定する物では無いが、最近は「陰湿」過ぎるような気がする。
もっとも、「陽気」なイジメだって、OKな訳ではない。
ただ、TVのコメンテータのように、「一般論としての正しい事」を「訳知り顔」で語っても何の解決にはならないと思うだけである。
とくに、学校の先生が参加するイジメは、大きな問題だと思う。
TVタレント、特に若手の芸人にムチャな事をさせる番組が多いような気がする。
出来ない事や、困らせる事をやらせるのと、「死ぬ練習」をさせるのとは、根本的に同じような気がする。
学校内での、問題に「警察」が入る事を、TVでも、新聞でも、「問題」のように扱う傾向があるように思う。
学生運動が華やかだった頃、大学の構内に警察が入ると「官憲は出て行け!」と騒いだ人達がコメンテータに多いのだろうか。
警察が「正しい」事ばかりをするなんて、思ってはいない。
警察だろうが、裁判官だろうが、犯罪は犯罪である。
何らかの権力を持つからこそ、厳しく律する必要があるのだと思う。
では、学校はどうだろうか?
事件や事故が起きても、「治外法権」なのだろうか。
自殺した子供が反論出来ないのを良い事に、適当にごまかして「口を拭う」ってもよいのだろうか。
仰げば尊しわが師の恩と言う歌がある。
個人的な感情で、申し訳ないが、私個人の思い出の中で、小学校の4,5,6年の3年間は、「担任」と呼ばれる人から随分ヒドイ扱いを受けた記憶しかない。
金八先生の様なドラマを見ても、「んな先公など、いるわきゃ無い!」と思ってしまう。
ところで、アントニオ・猪木と言う人がいる。
以前はプロレスラーで、一時期国会議員もやっていた人である。
時々、TVに出て来ては、「闘魂注入」とか言って人をひっぱたく。
本当に、「檄」を飛ばしたいのであれば、個人的に「やれば良い」と思う。
まるで、その行為が「正しい事」「楽しい事」のように、人をひっぱたく。
見ていて「虫酢が走る」のである。
そして、そのような番組を放送しているTV局が、「もっともらしい顔」で、イジメはいけないをのたまう。
変だとは思わないのだろうか?
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新聞たTVのニュースでは、毎日のように「殺された」の「殺した」のと報道する。
ドラマでは、「~殺人事件」が氾濫し、さも「楽しそう」である。
「~殺人」が「娯楽」なのである。
最近では、ビートたけしが、またまた「ヤクザ」の「殺し合い」の映画を作ったようである。
その「殺し具合」が素晴らしいと、良識あるはずの「オ・ト・ナ」が絶賛している。
TVや新聞は、「殺し合い」が本当に素晴らしいと思うのだろうか?
子供だけは「イジメ」はいけなくて、ゲームの中でも、TVの中でも、人がどんどん「殺されている」
「みんな なかよく」と言う事が「素晴らしい」とは思わない。
それなりの競争や、試練はあっても良いと思う。
だけど、連日のように人を殴り、殺し合う姿ばかり見せられたら、どこか「感覚」がおかしくなってもしょうがないとは思いませんか?

最近、TVや新聞で、「イジメ」が取り上げられる。
私が子供の頃も、イジメはあった。
だから、今でも「あって良い」とは思わない。
決して、肯定する物では無いが、最近は「陰湿」過ぎるような気がする。
もっとも、「陽気」なイジメだって、OKな訳ではない。
ただ、TVのコメンテータのように、「一般論としての正しい事」を「訳知り顔」で語っても何の解決にはならないと思うだけである。
とくに、学校の先生が参加するイジメは、大きな問題だと思う。
TVタレント、特に若手の芸人にムチャな事をさせる番組が多いような気がする。
出来ない事や、困らせる事をやらせるのと、「死ぬ練習」をさせるのとは、根本的に同じような気がする。
学校内での、問題に「警察」が入る事を、TVでも、新聞でも、「問題」のように扱う傾向があるように思う。
学生運動が華やかだった頃、大学の構内に警察が入ると「官憲は出て行け!」と騒いだ人達がコメンテータに多いのだろうか。
警察が「正しい」事ばかりをするなんて、思ってはいない。
警察だろうが、裁判官だろうが、犯罪は犯罪である。
何らかの権力を持つからこそ、厳しく律する必要があるのだと思う。
では、学校はどうだろうか?
事件や事故が起きても、「治外法権」なのだろうか。
自殺した子供が反論出来ないのを良い事に、適当にごまかして「口を拭う」ってもよいのだろうか。
仰げば尊しわが師の恩と言う歌がある。
個人的な感情で、申し訳ないが、私個人の思い出の中で、小学校の4,5,6年の3年間は、「担任」と呼ばれる人から随分ヒドイ扱いを受けた記憶しかない。
金八先生の様なドラマを見ても、「んな先公など、いるわきゃ無い!」と思ってしまう。
ところで、アントニオ・猪木と言う人がいる。
以前はプロレスラーで、一時期国会議員もやっていた人である。
時々、TVに出て来ては、「闘魂注入」とか言って人をひっぱたく。
本当に、「檄」を飛ばしたいのであれば、個人的に「やれば良い」と思う。
まるで、その行為が「正しい事」「楽しい事」のように、人をひっぱたく。
見ていて「虫酢が走る」のである。
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「~殺人」が「娯楽」なのである。
最近では、ビートたけしが、またまた「ヤクザ」の「殺し合い」の映画を作ったようである。
その「殺し具合」が素晴らしいと、良識あるはずの「オ・ト・ナ」が絶賛している。
TVや新聞は、「殺し合い」が本当に素晴らしいと思うのだろうか?
子供だけは「イジメ」はいけなくて、ゲームの中でも、TVの中でも、人がどんどん「殺されている」
「みんな なかよく」と言う事が「素晴らしい」とは思わない。
それなりの競争や、試練はあっても良いと思う。
だけど、連日のように人を殴り、殺し合う姿ばかり見せられたら、どこか「感覚」がおかしくなってもしょうがないとは思いませんか?
2012年10月03日
ピザド
うわんです。

ピザドを買った。
日本でも売っているのだろうか?
ミスタードーナッツの「ピザドーナッツ」
数か月前、「寿司ドーナッツ」と言うのがあった。
これは、日本ではやってい無かったようである。
日本食ブームとは言っても、「寿司」をドーナッツにするのは、日本ではウケ無いだろう。
でも、それなりに流行った用である。
大きさも、手ごろで、食べ易かった。
売り声は、店員のおねーちゃんが赤いハッピの様な物を着て「スシド サワディ・カー」と言っていた。
今回は、ピザなので、ハッピは着ていない様である。
看板に、小さくカタカナで、「ミスタードーナッツ ピザド」と書いてある。

日本で売っているのではないかと想像する所以である。
タイだけのプロモーションなら、もう少し大きく日本語を書くだろう。
スシドの時は、堂々と書いてあった。
ピザをイメージして、三角状になったドーナッツである。
それを、ピザのデリバリーの様な箱に詰めている。


それぞれ、色々なトッピングを乗せたピザとは似つかないドーナッツである。
甘い物好きな私は、喜んで買ったが、一人占めをする量では無い。
この辺が、「スシド」との違いである。
では、7種類のドーナッツを見てみよう。


なかなか美味しそうである。
が、ドーナッツ屋を覗くと、それだけでは収まらないのが「甘い物好き」のオヤジである
ポンデリングのチョコとクリーム、それと、イースト・シェルのカスタードも同時に購入。
好物のポンデ・リングとイースト・シェルを先に頬ばった。
楽しみは後に取っておくタイプなのである。
で、それから、ピザドを1つ摘む。
口の周りにクリームを付けたまま、1つを完食。
で、そこで、「お腹一杯」になってしまった。
もう、若い時のように食べられないのかも知れない・・・と思ったら、「食べ過ぎ!」と言う冷たい妻の声。
・・・そうかもしれない。
娘や家内より、多く食べようとする事自体、「ヒンシュク」のタネになるのである。
日本のミスタードナッツでは売っていないタイプのドーナッツがあるのは嬉しいが、日本で大好きだったフレンチ・クーラーの種類が少ないのはちゃっと悲しい。
国によって「売れ筋」が違うのだろう。
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そういえば、クソ熱いたいでは、マグドナルドのシェイクは売っていない。
ミスドのHPを見ていたら、日本のミスドでは、坦々麺とか肉そはなんて、扱っているとか。
坦々麺のドーナッツセットって、ちょっと魅力的かもしれない。

ピザドを買った。
日本でも売っているのだろうか?
ミスタードーナッツの「ピザドーナッツ」
数か月前、「寿司ドーナッツ」と言うのがあった。
これは、日本ではやってい無かったようである。
日本食ブームとは言っても、「寿司」をドーナッツにするのは、日本ではウケ無いだろう。
でも、それなりに流行った用である。
大きさも、手ごろで、食べ易かった。
売り声は、店員のおねーちゃんが赤いハッピの様な物を着て「スシド サワディ・カー」と言っていた。
今回は、ピザなので、ハッピは着ていない様である。
看板に、小さくカタカナで、「ミスタードーナッツ ピザド」と書いてある。

日本で売っているのではないかと想像する所以である。
タイだけのプロモーションなら、もう少し大きく日本語を書くだろう。
スシドの時は、堂々と書いてあった。
ピザをイメージして、三角状になったドーナッツである。
それを、ピザのデリバリーの様な箱に詰めている。


それぞれ、色々なトッピングを乗せたピザとは似つかないドーナッツである。
甘い物好きな私は、喜んで買ったが、一人占めをする量では無い。
この辺が、「スシド」との違いである。
では、7種類のドーナッツを見てみよう。







なかなか美味しそうである。
が、ドーナッツ屋を覗くと、それだけでは収まらないのが「甘い物好き」のオヤジである
ポンデリングのチョコとクリーム、それと、イースト・シェルのカスタードも同時に購入。
好物のポンデ・リングとイースト・シェルを先に頬ばった。
楽しみは後に取っておくタイプなのである。
で、それから、ピザドを1つ摘む。
口の周りにクリームを付けたまま、1つを完食。
で、そこで、「お腹一杯」になってしまった。
もう、若い時のように食べられないのかも知れない・・・と思ったら、「食べ過ぎ!」と言う冷たい妻の声。
・・・そうかもしれない。
娘や家内より、多く食べようとする事自体、「ヒンシュク」のタネになるのである。
日本のミスタードナッツでは売っていないタイプのドーナッツがあるのは嬉しいが、日本で大好きだったフレンチ・クーラーの種類が少ないのはちゃっと悲しい。
国によって「売れ筋」が違うのだろう。
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そういえば、クソ熱いたいでは、マグドナルドのシェイクは売っていない。
ミスドのHPを見ていたら、日本のミスドでは、坦々麺とか肉そはなんて、扱っているとか。
坦々麺のドーナッツセットって、ちょっと魅力的かもしれない。
2012年10月02日
滅亡?
うわんです。

今年は、世界や人類が滅びるかも知れないと言われている年である。
古代のマヤ文明で用いられていた「暦」が今年、2012年12月22日で終わっているから、その日に地球が滅亡する・・・かも?と、言う話である。
今年は、5月21日に金環日食がおこり、その時、太陽、地球、月、そしてプレアデス星団まで一直線になると言う、話であった。
日食が発生するのだから、太陽と地球と月が一直線に並ぶのは、「当然」であるが、それに遠いプレアデス星団まで絡めるとは、中々「想像力」の豊かな「ウワサ」である。
どんな日食のときも、宇宙のどこかの星とは、直線に並ぶのではないか?
でも、それがきっかけとなり、12月22日の「滅亡」へとつながると言うのである。
12月22日とは、丁度「冬至」の日である。
マヤの暦を作った人は、それに合わせて、「計算」をするのを辞めただけかもしれない。
滅亡支持の人は、その時、銀河系の中心である「いて座」の方向と、太陽、地球が一直線に並ぶと言う。
何だか「ヤバ」そうなことではあるが、何の事は無い、毎年1回ほど、そうなるのだそうだ。
地球と太陽と月が一直線になるのは、それこそ、頻繁に起きるようである。
今年は、単に日本から見える所で、それが起きたと言うはなし。
地球の裏側のマヤ文明が現存していても、マヤの所では、部分日食すら起きないのである。
マヤ文明を築いたマヤの人達は、残念ながら、2012年12月22日をみるずっと前に滅亡してしまっている。
いずれの日にか、人類が滅亡するであろう事、地球が無くなってしまう事は間違いないであろうと思う。
それがいつなのかと言う事より、私自身が「死ぬ」事の方が「喫緊」の問題であろう。
こちらの方は、明日明後日とか、数年後と言うレンジである。
もし、当の本人が死んでも、キリスト教ならば、キリストが再臨した時に、「蘇る」事になっている。
ただ、それがいつなのか「明確」ではない
1999年のノストラダムスの時は、キリストは来なかったようである。
もしかすると、来て「関係者」だけをすくって行ったのかも知れないが、私の所には「案内状」は来なかったのである。
仏教ならば、「弥勒菩薩」が来て、救ってくれる事になっている。
でも、それは、56億7千万年後であるらしい。
太陽や地球が出来てから、既に45億とか46億年程経っているとの事。
大雑把な計算では、太陽の寿命は100億年位とのことで、あと54億年とか55億年程で、太陽が「へたる」と言う話です。
そうすると、折角「弥勒菩薩」様が来てくれても、ちょっと「手遅れ」って事になるでしょうか。
でも、この50億年と言う数字、あながちでたらめでもなさそう。
銀河系のなかで、不規則に発生する「超新星爆発」。
それに地球が遭遇する確率が50億年に1度なのだそうだ。
超新星爆発から10パーセク(32,6光年の距離)に地球がいる確立だそうだ。
50光年の距離だと、惑星の生物は壊滅状態だとか。
いま、地球の近くで超新星爆発しそうな星は2つ。
アンタレスと、ペテルギウスだそうである。
両方とも,600光年とか640光年離れているから、取り敢えずは「弥勒菩薩」のお世話にはならないで済むらしい。
最近の宇宙科学では、後10億年以内には、太陽が今の10%位強く輝くと予測されているとの事。
そうなると、地球上の平均気温が93度を超えるのだそうだ。
今騒いでいる「地球温暖化」どころの騒ぎではないらしい。
でも、10億年だと、「弥勒菩薩」は、まだ修業中である。
弥勒菩薩は当てに出来ない、キリスト様の予定はわからない。
どちらにしても、今年の12月には「間に合いそうに無い」のが実情である。
10年以上前に騒がれたノストラダムスの予言。
最近、また復活しているそうである。
ノストラダムスは「カバラ数秘術」という計算法で予言を記していた。しかし解読の間違いでカバラ数字の『13』を足し忘れていたらしい
だから、ノストラダムスが予言した「滅亡」は1999年では無く、2012年だと言うのである。
で、こんなバカげた話を、何で今頃書いているかと言うと、
覚えている人の少ないだろうが、去年の今頃、盛んに言われたのが「10月28日人類滅亡説」だったのを思い出したから。
マヤの暦の最後の日は、2011年10月28日であると、言われていたのである。
どうやら、計算違いだったようである。
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いや、マヤ文明が予言した、人類滅亡の「人類」とは、マヤの当時の人が考える「人類」であって、今日、この日を生きている私たちは、「人類」では無いのかも知れない。
1980年前後に盛んに言われた「新人類」と言う言葉。
すでに、1世代が過ぎている。
今は、「新人類ジュニア」の世代なのである。
マヤの暦の起点は紀元前3144年だそうだ。
その頃から、「新人類」が何回か生まれては「滅亡」しているのかも知れない。
あと、数ヶ月しかない「人類滅亡」までの日数。
来年のお正月を迎えられるかどうかは「知らない」が、年賀状の準備はしておいた方がよさそうである。
ちなみに、来年用の年賀状の発売は、2012年11月1日であるとの事。
来年は、「巳年」。 タイでは「コブラの絵」が描かれる事になるだろう。

今年は、世界や人類が滅びるかも知れないと言われている年である。
古代のマヤ文明で用いられていた「暦」が今年、2012年12月22日で終わっているから、その日に地球が滅亡する・・・かも?と、言う話である。
今年は、5月21日に金環日食がおこり、その時、太陽、地球、月、そしてプレアデス星団まで一直線になると言う、話であった。
日食が発生するのだから、太陽と地球と月が一直線に並ぶのは、「当然」であるが、それに遠いプレアデス星団まで絡めるとは、中々「想像力」の豊かな「ウワサ」である。
どんな日食のときも、宇宙のどこかの星とは、直線に並ぶのではないか?
でも、それがきっかけとなり、12月22日の「滅亡」へとつながると言うのである。
12月22日とは、丁度「冬至」の日である。
マヤの暦を作った人は、それに合わせて、「計算」をするのを辞めただけかもしれない。
滅亡支持の人は、その時、銀河系の中心である「いて座」の方向と、太陽、地球が一直線に並ぶと言う。
何だか「ヤバ」そうなことではあるが、何の事は無い、毎年1回ほど、そうなるのだそうだ。
地球と太陽と月が一直線になるのは、それこそ、頻繁に起きるようである。
今年は、単に日本から見える所で、それが起きたと言うはなし。
地球の裏側のマヤ文明が現存していても、マヤの所では、部分日食すら起きないのである。
マヤ文明を築いたマヤの人達は、残念ながら、2012年12月22日をみるずっと前に滅亡してしまっている。
いずれの日にか、人類が滅亡するであろう事、地球が無くなってしまう事は間違いないであろうと思う。
それがいつなのかと言う事より、私自身が「死ぬ」事の方が「喫緊」の問題であろう。
こちらの方は、明日明後日とか、数年後と言うレンジである。
もし、当の本人が死んでも、キリスト教ならば、キリストが再臨した時に、「蘇る」事になっている。
ただ、それがいつなのか「明確」ではない
1999年のノストラダムスの時は、キリストは来なかったようである。
もしかすると、来て「関係者」だけをすくって行ったのかも知れないが、私の所には「案内状」は来なかったのである。
仏教ならば、「弥勒菩薩」が来て、救ってくれる事になっている。
でも、それは、56億7千万年後であるらしい。
太陽や地球が出来てから、既に45億とか46億年程経っているとの事。
大雑把な計算では、太陽の寿命は100億年位とのことで、あと54億年とか55億年程で、太陽が「へたる」と言う話です。
そうすると、折角「弥勒菩薩」様が来てくれても、ちょっと「手遅れ」って事になるでしょうか。
でも、この50億年と言う数字、あながちでたらめでもなさそう。
銀河系のなかで、不規則に発生する「超新星爆発」。
それに地球が遭遇する確率が50億年に1度なのだそうだ。
超新星爆発から10パーセク(32,6光年の距離)に地球がいる確立だそうだ。
50光年の距離だと、惑星の生物は壊滅状態だとか。
いま、地球の近くで超新星爆発しそうな星は2つ。
アンタレスと、ペテルギウスだそうである。
両方とも,600光年とか640光年離れているから、取り敢えずは「弥勒菩薩」のお世話にはならないで済むらしい。
最近の宇宙科学では、後10億年以内には、太陽が今の10%位強く輝くと予測されているとの事。
そうなると、地球上の平均気温が93度を超えるのだそうだ。
今騒いでいる「地球温暖化」どころの騒ぎではないらしい。
でも、10億年だと、「弥勒菩薩」は、まだ修業中である。
弥勒菩薩は当てに出来ない、キリスト様の予定はわからない。
どちらにしても、今年の12月には「間に合いそうに無い」のが実情である。
10年以上前に騒がれたノストラダムスの予言。
最近、また復活しているそうである。
ノストラダムスは「カバラ数秘術」という計算法で予言を記していた。しかし解読の間違いでカバラ数字の『13』を足し忘れていたらしい
だから、ノストラダムスが予言した「滅亡」は1999年では無く、2012年だと言うのである。
で、こんなバカげた話を、何で今頃書いているかと言うと、
覚えている人の少ないだろうが、去年の今頃、盛んに言われたのが「10月28日人類滅亡説」だったのを思い出したから。
マヤの暦の最後の日は、2011年10月28日であると、言われていたのである。
どうやら、計算違いだったようである。
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いや、マヤ文明が予言した、人類滅亡の「人類」とは、マヤの当時の人が考える「人類」であって、今日、この日を生きている私たちは、「人類」では無いのかも知れない。
1980年前後に盛んに言われた「新人類」と言う言葉。
すでに、1世代が過ぎている。
今は、「新人類ジュニア」の世代なのである。
マヤの暦の起点は紀元前3144年だそうだ。
その頃から、「新人類」が何回か生まれては「滅亡」しているのかも知れない。
あと、数ヶ月しかない「人類滅亡」までの日数。
来年のお正月を迎えられるかどうかは「知らない」が、年賀状の準備はしておいた方がよさそうである。
ちなみに、来年用の年賀状の発売は、2012年11月1日であるとの事。
来年は、「巳年」。 タイでは「コブラの絵」が描かれる事になるだろう。
2012年10月01日
10月
うわんです。

いよいよ、10月です。
10月と言えば、最近タイでも「オクトーバー・フェスタ」とか言う、元々ドイツのビール祭りみたいな事をやっているようです。
それと、「ハロウィン」でしょうか。
最近、日本でも「ハロウィン」をやるようですが、私が住んでいるアパートでも、この日は近所の子供や「メイド」がお菓子を求めてやってきます。
カトリックでは11月1日が「諸聖人の日」で、11月2日が「死者の日」となっている。
日本で言う「お盆」のような日である。
日本なら、死者(御先祖様)は、子孫の家に来るが、キリスト教の死者は、もう少し「おおらか」なのか「いい加減」なのか。
聖霊や魔女が町に出て来るのである。
日本で言ったら「魑魅魍魎」「百鬼夜行」である。
日本では「東京オリンピック」の開会式の日を記念して10月10日を「体育の日」としていましたが、いつの間にか10月の第2月曜になってしまいました。
元々、10月10日は「晴れの特異日」だそうで、そのため、オリンピックの開会式をその日に合わせたのだと聞いた事があります。
それを、第2月曜としたのは、「記念」にもならない「愚行」だと思っています。
タイの祝日は、「△月の満月」とか「お釈迦様の~」とか、「王様の~」とかと言う根拠があります。
もちろん、日本の祝日にも「理由」は付いていますが、タイ人に聞かれると説明に困る事があります。
例えば、「春分、秋分の日」
春分の方は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」のだそうだ。
秋分の方は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」なのだそうだ。知ってました?
で、春分の方の「休む」理由。 何故日本人がこの日に「休むのか?」を説明出来ますか・
私には、説明出来ません。
もっと、変なのが「国民の休日」。
その前日及び翌日が「国民の祝日」である平日は、休日とする。
これって、微妙ですね。
前の日と、翌日が「国民の祝日」だと、間の日は「休日」
この日に休めない、電車やバスの運転手とか、デパートの店員などは、「非国民」なのでしょうネ。
さて、10月の事を英語で「オクトーバー」と言います。
この「オクト」は元々「8」を意味する言葉だそうで、8本足のタコが「オクトパス」なのは有名です。
10月なのに「オクトーバー」で何かへんですね。
子供の頃、「オクトーバーは8月だったけど、「シーザー」と「「アウグストゥス」が自分の誕生月を無理やりいれたから、10月の名前が8を表す名前にずれ込んだ」と聞いた事があります。
本当は、暦が出来た古代のローマでは、今の3月から新年が始まっていたとの事。
だから、3月を起点に数えると、今の10月が8番目の月となり、11月は「9」を表す「Noven]、12月は「10」を表す「Decem」なんだそうです。
「シーザー」とか「アウグストゥス」は割り込んだのでは無く名前を変更しただけのようです。
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10月といえば、もう秋の気配が漂うのでしょう。
タイでは、雨季の最終段階で、土砂降りの日が続きます。
タイにいても、日本の習貫を守っている事があります。
東北の秋の習貫。「芋煮」です。
日本にいた時のように、山間の河原に出かける事は出来ませんが、10月の中旬になると、「芋煮」の鍋を作ります。
紅葉も、冬まじかの秋の気配も無いタイのアパートで、クーラーと扇風機の風を感じながら、風情の無い「芋煮」です。

いよいよ、10月です。
10月と言えば、最近タイでも「オクトーバー・フェスタ」とか言う、元々ドイツのビール祭りみたいな事をやっているようです。
それと、「ハロウィン」でしょうか。
最近、日本でも「ハロウィン」をやるようですが、私が住んでいるアパートでも、この日は近所の子供や「メイド」がお菓子を求めてやってきます。
カトリックでは11月1日が「諸聖人の日」で、11月2日が「死者の日」となっている。
日本で言う「お盆」のような日である。
日本なら、死者(御先祖様)は、子孫の家に来るが、キリスト教の死者は、もう少し「おおらか」なのか「いい加減」なのか。
聖霊や魔女が町に出て来るのである。
日本で言ったら「魑魅魍魎」「百鬼夜行」である。
日本では「東京オリンピック」の開会式の日を記念して10月10日を「体育の日」としていましたが、いつの間にか10月の第2月曜になってしまいました。
元々、10月10日は「晴れの特異日」だそうで、そのため、オリンピックの開会式をその日に合わせたのだと聞いた事があります。
それを、第2月曜としたのは、「記念」にもならない「愚行」だと思っています。
タイの祝日は、「△月の満月」とか「お釈迦様の~」とか、「王様の~」とかと言う根拠があります。
もちろん、日本の祝日にも「理由」は付いていますが、タイ人に聞かれると説明に困る事があります。
例えば、「春分、秋分の日」
春分の方は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」のだそうだ。
秋分の方は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」なのだそうだ。知ってました?
で、春分の方の「休む」理由。 何故日本人がこの日に「休むのか?」を説明出来ますか・
私には、説明出来ません。
もっと、変なのが「国民の休日」。
その前日及び翌日が「国民の祝日」である平日は、休日とする。
これって、微妙ですね。
前の日と、翌日が「国民の祝日」だと、間の日は「休日」
この日に休めない、電車やバスの運転手とか、デパートの店員などは、「非国民」なのでしょうネ。
さて、10月の事を英語で「オクトーバー」と言います。
この「オクト」は元々「8」を意味する言葉だそうで、8本足のタコが「オクトパス」なのは有名です。
10月なのに「オクトーバー」で何かへんですね。
子供の頃、「オクトーバーは8月だったけど、「シーザー」と「「アウグストゥス」が自分の誕生月を無理やりいれたから、10月の名前が8を表す名前にずれ込んだ」と聞いた事があります。
本当は、暦が出来た古代のローマでは、今の3月から新年が始まっていたとの事。
だから、3月を起点に数えると、今の10月が8番目の月となり、11月は「9」を表す「Noven]、12月は「10」を表す「Decem」なんだそうです。
「シーザー」とか「アウグストゥス」は割り込んだのでは無く名前を変更しただけのようです。
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10月といえば、もう秋の気配が漂うのでしょう。
タイでは、雨季の最終段階で、土砂降りの日が続きます。
タイにいても、日本の習貫を守っている事があります。
東北の秋の習貫。「芋煮」です。
日本にいた時のように、山間の河原に出かける事は出来ませんが、10月の中旬になると、「芋煮」の鍋を作ります。
紅葉も、冬まじかの秋の気配も無いタイのアパートで、クーラーと扇風機の風を感じながら、風情の無い「芋煮」です。
2012年09月29日
風邪が吹くと・・・
うわんです。

日本では、昔から「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う。
最近の若い人は、言葉としては知っていても、「何故」そうなるのかを知らない人が多いと聞く。
風が吹くと、土ぼこりが立つ
土ぼこりが目に入って、盲人が増える
盲人になると、三味線を買う(当時の盲人が就ける職業)
三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
ネコがいなくなればネズミが増える
ネズミは桶を囓る
桶の需要が増え桶屋が儲かる
と言う、「屁理屈」である。
丁度、昨日「最近雨が多い」と言う記事を書いた。
それに呼応した訳でもないだろうが、仕事中に2本の電話が入った。
時、悪しくも、月末である。
毎日、毎日、昨日と今日と明日が続くのだが、昔の人が勝手に決めた「1ヶ月」と言う単位の替わり目が月末である。
そして、お客さんの要求は、この月末に集中するのである。
いわゆる「今月一杯」と言うやつである。
日本では「風邪が吹いたら、桶屋・・・」であるが、タイでは、「雨が降ったら、納品出来ない」となるのである。
その「雨が降ったから、納品できない」と言う電話があったのである、
タイでの生活も大分慣れたから、こんな電話があっても「驚く」事は無い。
でも、日本人のお客に説明するのが手間である。
一般的な理由は、
「雨が降って、渋滞」と言うのが多い。
でも、これは既に運搬途中であるから、数時間待てば解決する。
「雨で、停電」
これも頻繁に起きる。
出来上がった品物をトラックに乗せようと思ったが、停電になって、クレーンが動かないなどと言う事が時々ある。
今の工作機械は電気が無ければ動かない。
だから、加工途中で、停電になれば、どうしようもないのである。
ヘタをすると、突然の停電で、加工していた物が「オシャカ」になる事もある。
日本では、先年の大震災の影響で、「停電」の怖さを理解した人も多いだろう。
それ以前は、電気は来て「当り前」であったから、ちょっとした台風とか事故で、停電すると、日本では「ニュース」になった。
タイでは、日常茶飯時である。
その意識のギャップが、「停電」と「納期遅れ」との関連性を理解してもらう「障害」であった。
タイ人同士のやり取りで、日本人と違うのは、「決められた事」への理解である。
例えば「今日の朝10時」と言う約束は、いつの間にか「午前中」となり、「なんとか、今日中」になって行くのである。
このズルズル感が、堪らない。
客先や、あちこちの部署と調整して、なんとか「今日中」にこぎつけたと思ったら、相手は「今日中ならばOK」と意識が変る。
そうすると、「今日中に納品」が「今日中に完了」に化ける。
その時、注意しなければならないのが「チャ・パヤヤーム」と言う言葉。
パヤヤームとは、「努力する」とか「頑張る」時に使う言葉。
チャは、将来を表す言葉である。
だから、「チャ・パヤヤーム」は「努力します」とか「頑張ります」と言う意味になる。
日本語で、仕事上の予定を打ち合わせた時、この「頑張ります」は、「苦しいけど、やります」と、言う99.9%の約束と理解される。
だから、相手は「良かった、じゃ、頑張ってください」となり、約束として成立する事になる。
この「頑張る」とか「努力する」と言う感覚が違うのである。
「チャ」が付いた時は、「出来なかったら、しょうが無いよネ」と言う意味合いが大きいのである。
そして、その場合、80%の確率で、「頑張ったけど、出来なかった」となるのである。
私は、15年に及ぶタイ人との仕事の中で「チャ・パヤヤーム」の実態を知っている。
その実情は、「チャ・パヤヤーム」の答えを引き出した客がいなくなると、もう安心して「帰り仕度」を始めるのである。
結局、出来なかった時の「言い訳」と「許し」を得たと言う理解である。
私が、客の立場の時、「チャ・パヤヤーム」のあと、その外注先に居残って、作業を見守ると言う手段に出る事がある。
外注先の社長は、私をなんとか外に連れ出そうとする。
「食事に行きましょう」とか・・・
で帰ってにると、作業者は帰宅済みである。
少しの残業をもって、「努力した」事にするのである。
手の打ちようがなくなれば、「諦める」しかない。
その証人は、何の事は無い「私自身」となる。
だから、「チャ・パヤヤーム」が出た時は「要注意」なのである。
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「雨が降って渋滞」とか「雨が降って停電」と言うのは、かなり「筋」の通った言い訳である。
雨を理由にするしかない言い訳で、何も思いつかない時は、「雨が降った」だけの言い訳になる。
これを、更に追及すると、段々訳のわからない「理由」が出て来る。
「機械が壊れた」「車が出払っている」「運転手がいない」「子供が熱を出した」などなど。
で、それらの「愚にもつかない」言い訳を全部「聞いた」後で、もう一度納期を確認する。
そうすると、こちらの希望する納期(既に遅れてはいるのだが)に近い予定が出て来るのである。

日本では、昔から「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う。
最近の若い人は、言葉としては知っていても、「何故」そうなるのかを知らない人が多いと聞く。
風が吹くと、土ぼこりが立つ
土ぼこりが目に入って、盲人が増える
盲人になると、三味線を買う(当時の盲人が就ける職業)
三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
ネコがいなくなればネズミが増える
ネズミは桶を囓る
桶の需要が増え桶屋が儲かる
と言う、「屁理屈」である。
丁度、昨日「最近雨が多い」と言う記事を書いた。
それに呼応した訳でもないだろうが、仕事中に2本の電話が入った。
時、悪しくも、月末である。
毎日、毎日、昨日と今日と明日が続くのだが、昔の人が勝手に決めた「1ヶ月」と言う単位の替わり目が月末である。
そして、お客さんの要求は、この月末に集中するのである。
いわゆる「今月一杯」と言うやつである。
日本では「風邪が吹いたら、桶屋・・・」であるが、タイでは、「雨が降ったら、納品出来ない」となるのである。
その「雨が降ったから、納品できない」と言う電話があったのである、
タイでの生活も大分慣れたから、こんな電話があっても「驚く」事は無い。
でも、日本人のお客に説明するのが手間である。
一般的な理由は、
「雨が降って、渋滞」と言うのが多い。
でも、これは既に運搬途中であるから、数時間待てば解決する。
「雨で、停電」
これも頻繁に起きる。
出来上がった品物をトラックに乗せようと思ったが、停電になって、クレーンが動かないなどと言う事が時々ある。
今の工作機械は電気が無ければ動かない。
だから、加工途中で、停電になれば、どうしようもないのである。
ヘタをすると、突然の停電で、加工していた物が「オシャカ」になる事もある。
日本では、先年の大震災の影響で、「停電」の怖さを理解した人も多いだろう。
それ以前は、電気は来て「当り前」であったから、ちょっとした台風とか事故で、停電すると、日本では「ニュース」になった。
タイでは、日常茶飯時である。
その意識のギャップが、「停電」と「納期遅れ」との関連性を理解してもらう「障害」であった。
タイ人同士のやり取りで、日本人と違うのは、「決められた事」への理解である。
例えば「今日の朝10時」と言う約束は、いつの間にか「午前中」となり、「なんとか、今日中」になって行くのである。
このズルズル感が、堪らない。
客先や、あちこちの部署と調整して、なんとか「今日中」にこぎつけたと思ったら、相手は「今日中ならばOK」と意識が変る。
そうすると、「今日中に納品」が「今日中に完了」に化ける。
その時、注意しなければならないのが「チャ・パヤヤーム」と言う言葉。
パヤヤームとは、「努力する」とか「頑張る」時に使う言葉。
チャは、将来を表す言葉である。
だから、「チャ・パヤヤーム」は「努力します」とか「頑張ります」と言う意味になる。
日本語で、仕事上の予定を打ち合わせた時、この「頑張ります」は、「苦しいけど、やります」と、言う99.9%の約束と理解される。
だから、相手は「良かった、じゃ、頑張ってください」となり、約束として成立する事になる。
この「頑張る」とか「努力する」と言う感覚が違うのである。
「チャ」が付いた時は、「出来なかったら、しょうが無いよネ」と言う意味合いが大きいのである。
そして、その場合、80%の確率で、「頑張ったけど、出来なかった」となるのである。
私は、15年に及ぶタイ人との仕事の中で「チャ・パヤヤーム」の実態を知っている。
その実情は、「チャ・パヤヤーム」の答えを引き出した客がいなくなると、もう安心して「帰り仕度」を始めるのである。
結局、出来なかった時の「言い訳」と「許し」を得たと言う理解である。
私が、客の立場の時、「チャ・パヤヤーム」のあと、その外注先に居残って、作業を見守ると言う手段に出る事がある。
外注先の社長は、私をなんとか外に連れ出そうとする。
「食事に行きましょう」とか・・・
で帰ってにると、作業者は帰宅済みである。
少しの残業をもって、「努力した」事にするのである。
手の打ちようがなくなれば、「諦める」しかない。
その証人は、何の事は無い「私自身」となる。
だから、「チャ・パヤヤーム」が出た時は「要注意」なのである。
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「雨が降って渋滞」とか「雨が降って停電」と言うのは、かなり「筋」の通った言い訳である。
雨を理由にするしかない言い訳で、何も思いつかない時は、「雨が降った」だけの言い訳になる。
これを、更に追及すると、段々訳のわからない「理由」が出て来る。
「機械が壊れた」「車が出払っている」「運転手がいない」「子供が熱を出した」などなど。
で、それらの「愚にもつかない」言い訳を全部「聞いた」後で、もう一度納期を確認する。
そうすると、こちらの希望する納期(既に遅れてはいるのだが)に近い予定が出て来るのである。
2012年09月28日
雨、雨、降れ、降れ
うわんです。

最近、毎日のように、夕方、土砂降りとなる。
もう少し、遅い時間に降ってくれればよいのだが、丁度、帰宅の時間と重なる事が多い。
片道、60km程の距離なのだが、通常1時間半ほどで着くのに、雨が降ると3時間以上かかってしまう。
渋滞のポイントは4か所。
工場から、高速に向かう田んぼ道。
連日の雨で、田んぼと道の境目が分からなくなってしまっている。
田植えをするお百姓さんは、田んぼに入るのに、船を使っている。
道から外れると、田んぼの中にひっくり返る。
毎日のように、車が突っ込んでいる。
それと、道にあいた、穴か見えないのである。
だから、真っ直ぐな所でも、慎重に運転しなければならないのである。
高速に入って、しばらくは順調だが、空港からの道の合流点では、日常的に渋滞している。
空港からの道を考える時、何も考えなかったのだろうか?
誰がどう考えても、渋滞するだろう。
もしかすると、世界で有数の「バンコクの渋滞」を観光客にアピールするつもりなのだろうか。
初めてタイに来た人は、驚くに違いない。
都心と空港との距離はさほどではない。
それなのに、時間的には、成田と東京都心のような時間が必要になるのである。
そして、高速とラマ9通りの分岐。
空港の渋滞を過ぎると、鬱積したイライラを解消するかのように、皆、右に左にと、車線を変えながら飛ばす。
分岐では、左の2車線がルートであるが、私の運転手を含め、一番右の追い越車線から、切り込むのである。
そうなれば、自分も含めて、前にも進めず、後ろも止まってしまう。
お互いに譲り合うと言う精神は持ち合わせていない様である。
鼻っつらを突っ込んで、「根負け」した方が譲るのである。
オンボロなピックアップは怖い物無しである。
そして、アパート近くのスクムビット39。
毎度の事ながら、ちょっと雨が降ると、縁石を超える水が出る。
車の床を水が打つ。
チャポン、チャポンと言う音を聞きながら、じっと待つのである。
雨季の終わりは、毎年、土砂降りが降るのである。
それなのに、毎年、飽きもせず「渋滞」となる。
昨年は、バンコクだけでなく、洪水の被害があった。
あれほどの洪水ではないが、毎日の土砂降りで、各所で、小さな「洪水」が起きているのである。
先日の新聞によれば、今年はタイの大型ダムにまだ余裕があるとの事。
でも、タイ人同士の噂によれば、「かなりヤバイ」と言う話。
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去年もそうであったが、「正確な情報」と言うのが分からない。
タイ人は、「自分の考え」や「思いつき」をいかにも本当らしく話す。
政府とかからの情報は、皆「疑って」いるようである。
TVの映像は、一番被害の大きい所だけを選んで流す。
いい加減な情報に惑わされるよりは、「水」が来てから考える方が「タイ」ッぽいのだろうか。
「アツモノ」に懲りて「ナマス」を吹くと言う諺がある。
去年の経験を生かして・・・・
と言うのではなく、単なる「オオカミが来た」レベルの噂話が多いようである。

最近、毎日のように、夕方、土砂降りとなる。
もう少し、遅い時間に降ってくれればよいのだが、丁度、帰宅の時間と重なる事が多い。
片道、60km程の距離なのだが、通常1時間半ほどで着くのに、雨が降ると3時間以上かかってしまう。
渋滞のポイントは4か所。
工場から、高速に向かう田んぼ道。
連日の雨で、田んぼと道の境目が分からなくなってしまっている。
田植えをするお百姓さんは、田んぼに入るのに、船を使っている。
道から外れると、田んぼの中にひっくり返る。
毎日のように、車が突っ込んでいる。
それと、道にあいた、穴か見えないのである。
だから、真っ直ぐな所でも、慎重に運転しなければならないのである。
高速に入って、しばらくは順調だが、空港からの道の合流点では、日常的に渋滞している。
空港からの道を考える時、何も考えなかったのだろうか?
誰がどう考えても、渋滞するだろう。
もしかすると、世界で有数の「バンコクの渋滞」を観光客にアピールするつもりなのだろうか。
初めてタイに来た人は、驚くに違いない。
都心と空港との距離はさほどではない。
それなのに、時間的には、成田と東京都心のような時間が必要になるのである。
そして、高速とラマ9通りの分岐。
空港の渋滞を過ぎると、鬱積したイライラを解消するかのように、皆、右に左にと、車線を変えながら飛ばす。
分岐では、左の2車線がルートであるが、私の運転手を含め、一番右の追い越車線から、切り込むのである。
そうなれば、自分も含めて、前にも進めず、後ろも止まってしまう。
お互いに譲り合うと言う精神は持ち合わせていない様である。
鼻っつらを突っ込んで、「根負け」した方が譲るのである。
オンボロなピックアップは怖い物無しである。
そして、アパート近くのスクムビット39。
毎度の事ながら、ちょっと雨が降ると、縁石を超える水が出る。
車の床を水が打つ。
チャポン、チャポンと言う音を聞きながら、じっと待つのである。
雨季の終わりは、毎年、土砂降りが降るのである。
それなのに、毎年、飽きもせず「渋滞」となる。
昨年は、バンコクだけでなく、洪水の被害があった。
あれほどの洪水ではないが、毎日の土砂降りで、各所で、小さな「洪水」が起きているのである。
先日の新聞によれば、今年はタイの大型ダムにまだ余裕があるとの事。
でも、タイ人同士の噂によれば、「かなりヤバイ」と言う話。
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去年もそうであったが、「正確な情報」と言うのが分からない。
タイ人は、「自分の考え」や「思いつき」をいかにも本当らしく話す。
政府とかからの情報は、皆「疑って」いるようである。
TVの映像は、一番被害の大きい所だけを選んで流す。
いい加減な情報に惑わされるよりは、「水」が来てから考える方が「タイ」ッぽいのだろうか。
「アツモノ」に懲りて「ナマス」を吹くと言う諺がある。
去年の経験を生かして・・・・
と言うのではなく、単なる「オオカミが来た」レベルの噂話が多いようである。
Posted by うわん at
00:01
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